イベント03コラム:「学校とは~」と括れるほど、学校の役割は単純でない
津波の甚大な被害を受けた女川という町で、先生は生徒のため、地域の人のために奔走してきた。その実体験を女川第一中学校の阿部一彦先生に語っていただく今回のリレーショントークが先に進むにつれ、僕はある程度わかっているつもりだった「学校」というものが、どんどんわからなくなっていった。
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津波の甚大な被害を受けた女川という町で、先生は生徒のため、地域の人のために奔走してきた。その実体験を女川第一中学校の阿部一彦先生に語っていただく今回のリレーショントークが先に進むにつれ、僕はある程度わかっているつもりだった「学校」というものが、どんどんわからなくなっていった。
宮城県牡鹿郡女川町の女川第一中学校教諭、阿部一彦先生をお招きしました。震災で傷ついた子どもたちは何を思い、前に進んでいるのでしょうか。阿部先生はなんとか学習環境を整えてやりたいと、津波で流された文房具を広く全国から募る「希望のえんぴつプロジェクト」を提案、通常の授業の傍ら活動を開始しました。
東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染で離村を余儀なくされた福島県相馬郡飯舘村の佐野ハツノさんがゲスト。稲作と牛の飼育、民宿で暮らしを立ててきた佐野さんは福島市の仮設住宅で暮らし、離村者のリーダーとして周囲の人の世話に心を配る。いつ村に帰れるかわからない中、「必ず村に戻る」と語る佐野さんの話は聴講者の共感を呼んだ。
東京電力福島第一原発の事故による放射能汚染は、原発周辺の住民の生活を一変させた。長い歴史の中で、住民は祖先から受け継いだ土地を守ることで、「環境」を作ってきた。その「環境」を最先端の科学で作られたはずの原子力発電所が、一瞬にして破壊してしまった。その罪はあまりに大きい。それでも人は生きていかねばならない。そこにある「思い」とは。
リレーショントークの第二回目は、福島県相馬郡飯舘村で民宿を営んでいらした、佐野ハツノさんをお招きします。飯舘村は、原発事故で全村避難を強いられた地域。佐野さんは現在、松川工業団地第一応急仮設住宅で、村の臨時職員として区長の役割を担っておられます。首都圏にいる私たちが、避難している被災者にできることは。佐野さんとの対話を通して共に考えます。
2011年8月6日(土)開催・RTPトークイベント01:関連コラム 東日本大震災から5ヶ月が経ちました。阪神大震災からは16年経っています。時代も場所も状況も違う2つの出来事ですが、同じ次元で語れる場を設けることで、見え…
東日本大震災から4カ月あまりが経過しました。 被害も範囲も大きすぎたこの震災は、数人のジャーナリストだけで何かを語り継いでいけるレベルのものではありません。被災地で活動するさまざまな人々が、「どんなことをし」「何を感じ・…
2011年7月2日(土)開催・RTPプレイベント(ゲスト:河北新報 編集委員 寺島英弥氏):レポート 私が東日本大震災の被災地支援ボランティアに行って感じたのは、現地と東京の意識の違いだった。その差を埋め、震災を風化させ…
2011年7月2日(土)開催・RTPプレイベント(ゲスト:河北新報 編集委員 寺島英弥氏):関連コラム 東京から被災地に様々な支援物資が送られます。みんな、東京に足りないものは無いと思っています。意外と気付かれていない、…