RELATION relayTalk Project

RELATION Talk Pre Event

RTPpreレポート:「ふんばる」を伝え続けることの意味

2011年7月2日(土)開催・RTPプレイベント(ゲスト:河北新報 編集委員 寺島英弥氏):レポート

私が東日本大震災の被災地支援ボランティアに行って感じたのは、現地と東京の意識の違いだった。その差を埋め、震災を風化させないために、きちんと伝えることが重要になる。「RELATION RelayTalk Project」は、そのための活動だ。
初回のゲスト・寺島英弥さんが新聞やブログで伝え続けていることを、私たちは都会で暮らしながらも、決して忘れてはいけない。私自身、被災地にボランティアで行き、「復興は、町や建物、経済の復興で終わるものではない。被災地の人たちの『思い』を共有し、心のつながりを維持して行くことが、とても大事だ」と痛感した。(文/鍵田真在哉)


「RELATION RelayTalk Project」の最初のゲストは、仙台市に本社がある地方新聞「河北新報」で編集委員をしている寺島英弥さん。寺島さんは記者としての取材・執筆を続けるかたわら、ブログ「余震の中で新聞を作る」を震災直後から更新し続けている。被災地の生の声を届ける活動について、その実情と思いを語っていただいた。

■記者自身が被災者で当事者だった

地震発生時、寺島さんは8階建ての河北新報社ビルにいた。隣にいた同僚が「このまま死ぬんじゃないかと思った」というほどの強烈な揺れだった。社内にはすぐに緊急取材本部が設置され、記者の安否確認をし、動ける記者だけで新聞を作ることが決まった。「ジグソーパズルのピースを集めて全体像を探る」ような作業だったという。

また河北新報社の新聞制作用のサーバーが倒れてしまったため、災害協定を結んでいた新潟日報に協力を要請することになった。陸路で新潟へ2人の社員を派遣して編集作業を行い、翌日、見開き4ページの朝刊を無事に発行した。「災害時でも新聞発行を止めない」ということは新聞社にとって最大の使命だったからだ。

それ以降、新聞は連日、記者自身の体験ルポを掲載した。気仙沼の支局長は、ビルに避難してきた何十人といる人達のために食べ物をと思い、コンビニに向かって駆け出した。そこで津波に遭遇し、50メートルも流され、九死に一生を得たという。その他、トラックの荷台に乗せてもらって帰ってきた記者など、それぞれが皆、各種各様の形で被災をし、記者自身が被災者であるという状況が生まれた。

■人がそこにいる限りふみとどまる

寺島さんは「河北新報」で「ふんばる」という連載記事を、デスク兼ライターとして続けている。放射能や風評といった言葉が飛びかう中、それでも人はとどまって生き続けている。そういう人達の声を伝えたいという思いから、この連載記事は企画された。被災の中で、人は何を考え、思い、どんな選択をし、行動しているのか。どうやって生きていくのか——それを克明に追うことが新聞の使命だと考えた。警戒地域に指定され、他社の記者が消えてしまった飯館村や南相馬市であっても、人がいる限り一緒に踏みとどまって、そこにいる。それが地元紙の記者なのではないか——という原点を感じたそうだ。

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