RELATION relayTalk Project

RELATION Talk Pre Event

RTPpreレポート:「ふんばる」を伝え続けることの意味

■「考えが甘かった」

RELATION RelayTalk Projectのプレイベントから一週間後、私は意を決して、気仙沼での被災地支援ボランティアに参加した。週末の2日間、「木村そろばん」というそろばん塾を担当し、瓦礫の撤去やヘドロかき出しなどの肉体労働に従事した。

1日目に現場を訪れたときは、正直にいって拍子抜けした。まわりの建物は浸水した跡があるものの、立派に残っていたし、近所の理容店はもう営業していた。木村さん夫妻も明るく元気な方で、多少疲れがみえたが、とても前向きな印象を受けた。「地震発生から4ヶ月経てばこんなものかな」と思いつつ、その日は浸水した壁をはがすなどの作業を黙々とこなした。
 
「考えが甘かった」と分かったのは2日目だった。「せっかく気仙沼まで来てもらったのに作業だけして帰ってもらうのは申し訳ない」という木村さんのご厚意で、気仙沼が見渡せる山の上まで車で行くことになった(こんなことは滅多にないと思います。感謝してもしきれません)。その道すがら、はじめの印象とは180度違う気仙沼を目にした。そこには未だ片付かない一面の瓦礫の山があり、陸に乗り上げた船があった。「これでもまだ片付いたほう」と木村さんは言われたが、その言葉の意味が全然分からなかった。

「陸上に残った一番大きなタンカーをモニュメントにする計画がある」といった呑気な話もありつつ、木村さんは終始朗らかだった。それは寺島さんの記事にもある「ふんばる」人の姿だったと思う。雇用が失われ、それによって土地から離れていく人、定まらない都市計画など、問題は山積み。それでも希望を持って住んでいる人がそこにはいた。

■「語り継ぐ」ことの大切さ

地震直後に比べ、震災関連の報道は確実に減り、東京の人にとって震災は過去のことになりつつあると思う。時間が経つにつれて、「なんとなく大丈夫だろうな」という人が増えることは間違いない。

私のような人間とって被災地は「非日常」であったとしても、現地の人は長く「日常」としてそこで暮らしていく。その感覚的なギャップを少しでも埋めるために、被災地のことを語り継いでいく活動が必要なのだと、実感として分かった。そうしなければ、被災地のために行動しようという気分を持続させることはできない。そこに「RELATION RelayTalk Project」の意義があると思う。

山の上からみる気仙沼は波の穏やかないい町で、故郷広島の瀬戸内海を思い出した。木村さんといろいろな話をしながら、私が「10年後の気仙沼が楽しみですね」というと、木村さんは笑っていた。しかし、本当の意味で復興を果たすには、多くの苦難があり、それを日本全体で支えていかなければならない——木村さんの本当の笑顔が10年後に見られるようにと、私たちの責任の重さを感じた瞬間だった。■

【執筆者プロフィール】
鍵田真在哉(かぎた まさや)

1990年生まれ。広島県出身。法政大学3年。
デザイン工学部システムデザイン学科所属。「デザインでできること」をテーマとした団体「coto:Re(コトリ)」の代表を経験し、現在は人間・社会環境デザイン研究室(大島デザイン研究室)で、社会貢献のためのデザインを研究中。

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