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イベント01レポート:阪神大震災の記憶は、東日本大震災にとっての“アイデア”

2011年8月6日(土)開催・RTPトークイベント01:関連コラム

東日本大震災から5ヶ月が経ちました。阪神大震災からは16年経っています。時代も場所も状況も違う2つの出来事ですが、同じ次元で語れる場を設けることで、見えてくるものがありました。

「5ヶ月後の神戸は誰も知らない」

神戸新聞社で、10年以上に渡り阪神大震災の取材を続けている宮沢さんは、そう言いました。わたしも、阪神大震災は知っていても、阪神大震災の5ヶ月後は知りません。なぜ誰も、5ヶ月後の神戸を知らないのでしょうか。(文/笠原名々子)

その理由について一般的に言われているのは、阪神大震災の5ヶ月後に地下鉄サリン事件が起こったからだ、という意見です。確かにそれもあると思います。でも、もっと普遍的な原因は、世の中の話題は、Twitterやニュースサイトと同じように、時間毎に更新されていく、ということにあると思います。
わたしは、東日本大震災から5ヶ月経った今、周りのみんなが震災の話をしなくなっていることに、勝手に焦りを感じていました。

対談の後の懇親会で、その自分の思いを伝えたら、「風化は自然なことだ」とおっしゃる方がいました。わたしは、その言葉にすごく納得できてしまいました。「なぜ風化するか?」ではなく、「風化はするものだ。じゃあどうする?」という考え方。

■風化はするもの。じゃあどうする?

対談の中で、宮沢さんはその答えを話していた気がします。宮沢さんは、「記憶を伝えていくこと」が「被災者責任」だと言っていました。そして、宮沢さんが「被災者責任」としてわたしたちに話してくれたことは、こんなことでした。

まず、「当時上手く出来なかったことがいっぱいあるのに、『神戸の時は素晴らしかった』と言われることに違和感を覚える」ということ。区画整備で公園が出来て、道路の幅が広くなった。でも、元々住んでいた人は家賃が5、6倍になるから戻って来られない。
再開発は大都会を作ったが、同時に地域の商店街を殺した。避難所は放置され、その風景は16年経っても何も変わっていない。行政VS住民、賃貸の住民VS購入した住民、の対立関係。そのわだかまりは16年立っても残っていると。そして当時、仮設住宅では200件以上の孤独死があった。『孤独死』は阪神大震災以降に出来た言葉だと。

避難所の風景、対立関係とそのしがらみ、ジャッター街、『孤独死』という言葉…。阪神大震災は、復興が早過ぎたことによって、様々な”悲しいもの”を現在に残しました。だから宮沢さんは、河北新報の寺島さんに、「もっと住民同士の話し合いの時間があった方がいい」というアドバイスをしていました。

また、宮沢さんは、5月に東北に行った際、「ボランティアが生かされていない」と感じたそうです。阪神大震災の時は、民間の人達は「言われたことはしない。言われていないことをする」という威勢の良さだったそうで、それがすごく励みになったと言います。また、ボランティアの外の目があることで、神戸の人はエゴを出さずに済んだのだと。

東日本大震災が抱える問題。民間ではなく役所がボランティアの受け入れをしていて、手続きが滞り、反応が鈍くなっているということについては、「窓口を作った方がいい。『お手上げ』と言ってしまって、色々な人に手伝ってもらえば良い」とアドバイスしていました。

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