イベント03コラム:「学校とは~」と括れるほど、学校の役割は単純でない
2011年12月10日(土)開催・RTPトークイベント03:関連コラム
RELATION relayTalk Project第3回のゲストは、宮城県にある女川第一中学校の阿部一彦先生。津波の甚大な被害を受けた女川という町で、先生は生徒のため、地域の人のために奔走してきた。その実体験を語っていただく今回のリレーショントークが先に進むにつれ、僕はある程度わかっているつもりだった「学校」というものが、どんどんわからなくなっていった。(文/鍵田真在哉)
「まず学校に来たら、子どもたちを『お前たち、生きてて良かったな』と毎朝迎えよう。朝の会でそういう風にしましょうと、他の先生方と話し合いました」
女川第一中学校の阿部先生は穏やかな口調でそう語った。リレーショントークが始まって約30分、この話を聞いた辺りから、「学校ってなんだっけ?」という疑問が、学生である僕の頭に浮かぶようになる。僕にとっての学校は「とにかくテストで点をとっておけばよくて、後は部活なり遊びなり好きにする場所」くらいのものだった。そうやって今まで当たり前のように通い続け、これからも通うだろう「学校」というものがわからなくなってしまった。
■学校に最低限必要なモノ
地震と津波で甚大な被害を受けながらも、女川第一中学校の先生方は、始業式を当初の予定通り4月8日から始めることに決めた。食べ物や飲み物といった基本的な生活資源もまだ整っておらず、状況から判断して授業を再開しない学校も多い中での決断。家が流され行くところも無く、学校にいるしかない生徒へ配慮した、というのも理由のひとつだ。そんな、客観的に見ればいくらか無理のある学校再開のための準備を、電気もない暗い教室で阿部先生を含めた10人程の先生で進めていた3月末。ある女性の先生が段ボール箱を持ち上げてこう言った。
「先生方、ノートとえんぴつと消しゴムがあったら、この中に入れてください」
それを聞いた阿部先生は最初、「突然何を言い出すのだろう、この先生は」と意図をつかみかねていたという。でもその先生の言葉でようやく気がついた。授業を始めるというのに、勉強に必要なえんぴつもノートも何も、まったく手元にないことに。文房具どころか、家や建物すべてが津波で流されてしまった。お店も同じ。文房具を買うところそのものがない。ガソリンも車もないため、遠出して買うこともできない。
僕は「なるほど」と思った。いつも通りの生活なら、ちょっとした文房具はコンビニへでも行けばすぐに手に入る。そんな生活が肌身に染みている僕も、話を聞きながらその簡単な事実に気づくことができなかった。震災後の状況はあらゆる面で日常生活とはかけ離れているということを、改めて実感した瞬間だった。
まずここでわかったのは「学校にはえんぴつとノートが必要で、生徒たちはそれすらも失ってしまっていた」という、とてつもなく基本的なことだった。