RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 06

イベント06レポート:
『南三陸町からの手紙』が生まれたそれぞれの想い

2012年5月12日(土)開催・リレーショントーク06:レポート

「震災を過去のことにしたくない、忘れ去られたくない」──被災地で暮らす人々の強い想いが綴られた書籍『南三陸町からの手紙』。第6回目のリレーショントークは、宮城県本吉郡南三陸町にある東北復興サポートセンター「Hamanasu」のセンター長である高橋芳喜さん、同センタースタッフの加藤有美さんにご登壇いただいた。彼らの、「いまの自分たちの状況、考えていることを残したい」という想いが、多くの人を動かしたのだ。出版に携わった版元である栄久堂の佐藤丈幸さん、フォトグラファーの野寺治孝さん、編集者の上野裕子さん、デザイナー、おおうちおさむさんらにも登壇してもらい、撮影時の様子や制作にまつわる話を伺った。(文/坪井久人 写真/潮崎恭平)

■被災地の、本当のニーズを届けるために生まれたHamanasu

──東北復興サポートセンター「Hamanasu」ではどのような活動をしているのでしょうか。

加藤:2011年7月に、HAMANASUは立ち上がりました。被災地はいろいろ情報が飛びあっていて本当の声がわからないのです。現地から、生の声を届けようというのが始まりです。現在は、ボランティアマッチングや学習支援──子供たちが集まれる場所を提供しています。子供が遊べる公園や場所がないのです。あとは企業の誘致ですね。被災者の雇用を目標に活動しています。今はリサイクルショップを建て、雇用を生み出そうとしています。

──Hamanasuの立ち上げの中心人物にJapan元気塾理事長の加藤秀視さんがいらっしゃいます。元は暴走族で、自分自身が変わった経験から建築会社を立ち上げ非行少年を雇って更生するよう、活動している方ですね。その方が被災地に入られてHamanasuを設立するまでの期間は。

加藤:秀視さんは、自社の社員を連れて被災地に入り、そこで出会った人とチームになりました。被災地でがれき撤去などを行い被災者を雇用することで、雇用を生み出そうとしています。

──秀視さんとは、もともとお知り合いで一緒に活動するようになったのですか?

加藤:はい。ツイッターで彼が被災地入りしたことを知りました。ただ、現地の情報と彼が持っている情報が異なっていたので、連絡をとって一緒に被災地に連れて行ったのが共に活動した始まりです。

──有美さんは横浜で仕事をされていて、大崎市の実家に戻られた際に被災されたのですよね。

加藤:そうです。私はスポーツインストラクターなのですが、実家に戻って健康体操やスイミング指導をフリーで仕事をする予定でした。この当時は石巻や南三陸町も含め、各体育館や役場の方へ売り込みをしており、南三陸町ベイサイドでもレッスン予定でした。その矢先の震災ゆえ、地元大崎市も各施設、破損や歪み、そして松島の方々の避難所となっていました。本来働く場所であった体育館などは避難されてる方がいるので使えず、仕事の再スタートができなくなってしまいました。

そこで再会したのが、高橋芳喜さんです。ボランティアが東北以外の地域から大量に来てくれてはいたものの、既に飽和状態で混乱が起きていました。被災地のみんなにとって何が本当に必要か、はっきり伝えられるセンターが作れるといいねということで、Hamanasuを立ち上げました。

──本来、ボランティアの振り分けなどは行政の仕事ではないでしょうか。なぜ個人レベルで統率しようと考えたのですか。

加藤:正直、当日は行政も機能していないんです。ボランティアセンターは存在していますが、人が多すぎて派閥になっていたり、どこに何を言えばいいかわからないような状態でした。それならば、作業を迅速につつがなく進めるためにも、自分たちで立ち上げようということになりました。

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