RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 06

イベント06レポート:
『南三陸町からの手紙』が生まれたそれぞれの想い

■未来や希望を見いだせるものを写したかった

──写真家の野寺さんにお伺いします。被災地の方の思いを伝えたいという気持ちと、東京の人たちが何かしたいという想いに違いはありませんでしたか。

野寺:撮影に入る前は、悲惨な写真は嫌だ、風景は希望が持てるように撮りたい、なんてことを周りに言っていました。しかし、現地に入ってみて気がつきました。自分はとんでもないことを言ってしまっていたなと。

この中から希望を見いだせるものなんて見つけられるんだろうか。正直、撮りたくないという気持ちに変わりました。普段はのんきな写真を撮っていて、対象がハッピーなものを心がけているのです。南三陸とはいえ、そういう写真を取りたいと思っていましたが、本当にそんな写真がとれるのだろうかという不安から撮影は始まっています。ただ、つきっきりで案内してくれた高橋さんはいつも明るく話してくれて、次第に違う気持ちも生まれてきました。

高橋:野寺さんと一緒に撮影場所を回っていて、驚くことがたくさんありました。僕は、例えばビルの上にトラックが乗っているような、そういう目立つ被害のあるところの写真を撮るのかと思っていたんですよね。でも、野寺さんは「えっ、ここで?」と思うような、ごくごく普通のところで立ち止まり、写真を撮り続けるんです。

実際にできあがった写真を見ると、どれもとてもきれいで。自分が「なぜここで撮るのだろう?」と不思議に思っていたところの方がきれいな写真として上がってくるのを何度も目の当たりにしました。2度目にいらした際の撮影場所は、野寺さんにすべてお任せしています。

──どういうところに惹かれて撮影していたのですか。

野寺:写真を見てくれる人が希望を見いだせないのであれば、その写真はまったく意味がないと思っていました。心の目が閉じては伝わらないと思っていて。文章も、「お金や家が流されて悲しい」ということよりは「感謝している」という旨の強い文章が多かった。ですから、写真も未来を向いているものがいいと思いました。

撮影のために現地を歩いていると、高橋さんが「ここに、元は何があった」と話をしてくれるんです。それは、自分に置き換えてみるならば自分がよく通った町、たとえば銀座の量販店やCDショップがなくなってしまうようなものなんだろうと感じました。そういう、大切なものを失うことに直面している人たちを思うと、大きく心が動いてシャッターを押していました。破壊される前の人の生活や思い出が映ってくれるといい。そう思いながら写真を撮りました。

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