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災害時に強い「自立・分散」
─都の放射線測定データ公開に連携した人々─

「首都圏にも放射性物質はやって来るのか?」──。
2011年3月11日の東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の重大事故は、国民に放射能への恐怖を抱かせた。事故直後、憑かれたようにネットで情報検索をする人々、東京から避難する人々、「落ち着こう!」とTwitterで呼びかける人々がいた。「事実が知りたい」という人々の思いに応えたのが、東京都健康安全研究センター(健安研)だった。

3月12日午後の1号機に続き、14日午前に3号機の原子力建屋の水素爆発が起きた。緊張感が高まる14日の夕方から、健安研は、東京の放射線測定データをインターネットで公開する取り組みを始めた。突貫工事のシステム開発。アクセス集中によるサイトのダウン。いくつかの障害を乗り越えて健安研は、インターネット上で淡々と毎時の放射線測定データを流し続けた。その裏には、組織を超えてネットをつないだ人たちがいた。(文/宮地恵美

■2011.3.14 夕刻 「えぇ~、1時間ごとのデータを公開するんですか?」

大震災から3日後の3月14日(月)夕方、健安研 微生物部疫学情報室主任研究員の灘岡陽子さんは、所長から「1時間ごとの放射線測定データを公開するように」と指示された。都本庁と測定委託元の文部科学省の了解はすでに取りつけたとのことだった。

「えぇ~、1時間ごとのデータを公開するんですか?」
この日の午前11時頃、福島原発3号機で水素爆発が起きている。海外のメディアや専門家は、水素爆発後の使用済燃料の即発臨界による核反応の可能性を言及し、1号機に続き2号機、さらに3号機のメルトダウンが推定される事態になっていた。

健安研は1957年から文部科学省受託事業として放射線の測定を開始、1991年からはモニタリングポストによる測定を実施。1時間ごとの測定データを保存していたが、Webでの即時公開してはいなかった。データの即時公開にはシステム開発が必要だった。

灘岡さんは、突然の話に「自分の仕事もあるのに……」と思ったという。
しかし、とにかくやらなければならない。

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