災害時に強い「自立・分散」
─都の放射線測定データ公開に連携した人々─
■インターネットが人をつなぐのではなく、人がインターネットをつなぐ
近頃、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の普及で、「ネットで人がつながる」というフレーズをよく耳にする。しかし、健安研の奮闘を支えたのは人のつながりだった。それがあって、初めてネットがつながった。まさに「人がネットをつなぐ」だった。この出来事は、1980年代に世界中で始まったインターネットをつなぐ草の根活動を思い起こさせる。
日本のインターネットの父と呼ばれる村井純教授(現在は慶應義塾大学環境情報学部長)は、人のつながりをたどって、全国のインターネットをつないで回った。インターネットをつなぐ人は、人との出会いを生かす力と、人を巻き込む力を持っている。
「あの研修に行っていなければ、中村先生のことを知ることもありませんでした。あれは、私の専門とはあまり関係ない内容で、しぶしぶ行ったのですが、中村先生に出会ったことが、研修の最大の収穫になりました」
意図せざる出会いから、実体を作っていく――。灘岡さんは、そうした「人との出会いを生かす力」を備えている。そして「人を巻き込む力」も持っている。
1980年代の初め頃、フランスから来日した留学生に、当時アメリカ、ヨーロッパで普及していたBITNETネットワークが使いたいと言われた灘岡さんは、国内でBITNETが使えた東京理科大の先生に頼みに行った。
「若いパリジェンヌだったので、その先生は、もう甘い顔して、いいよ、いいよ。でね……」と、理科大の先生の笑顔を真似る灘岡さん。上手に人を巻き込む様子が目に浮かんでくる。
こういう人がインターネットをつなげる。そして情報を必要とする人に情報を届ける。インターネットが人をつなぐのではなく、人がインターネットをつなぐ。
■災害時に強い「自立・分散」した人びとの連携
私はたまたま、慶應義塾大学環境情報学部の中村修教授から健安研の放射線測定データ公開とアクセス集中への支援の話を聞いた。そのとき何が起きたのか、どうやって情報公開をし続けることが出来たのか、その舞台裏を、私はぜひとも知りたいと思った。中村教授の紹介で、2012年1月24日に健安研を訪ね、灘岡さん、神谷室長、田口調整担当課長から、原発事故直後の3月14日からの緊迫した3日間とその後の話を聞かせていただいた。
それは、国内外が注目する首都東京の放射線モニタリング情報を発信し続けることに、組織を超えて人々が力を合わせた、インターネット黎明期を思い出させる物語だった。
無から新しいものを作り出す時と、災害時は似ている。なぜなら、どちらの状況も、平常時の既存業務を効率よく行うために設計された組織や手順が役に立たないからだ。
インターネットの設計思想「自立・分散」によって、組織を超えて人々が力を合わせて世界中にインターネットをつなげていったように、災害時にも、組織を超えて自立分散している人々の連携が力を発揮する。
自立・分散した人々の連携が世界を変え、災害を乗り越える。■
【執筆者プロフィール】
宮地恵美(みやち えみ)
東京出身。株式会社MMインキュベーションパートナーズ代表取締役社長、慶應義塾大学SFC研究所研究員(訪問)。大学発ベンチャーの起業支援、オープンイノベーションの研究、実践に取り組んでいる。
TAGS: 原発事故05/26/2012