イベント07レポート:
「海と生きる」決意の上にある活動
2012年6月2日(土)開催・リレーショントーク07:レポート
東日本大震災を語り継ぐRELATION relayTalk Project。リレーショントークの第7回目は、宮城県気仙沼市で遠洋漁業会社の臼福本店を営む同社代表取締役社長、臼井壯太朗さんと、東京で被災地の海の再生に取り組んでいる三陸オーシャンレスキューダイバーズ(SORD)代表の高田佳岳さんをお招きした。
「海と生きる」町、宮城県気仙沼市。他府県の漁業関係者の協力を得たことで、2011年も、15年連続でかつお水揚高全国一位を守ることはできた。しかし、気仙沼港の岸壁は、震災で破壊されて以来手つかずのまま。海中の瓦礫も多く、漁業に携わる人間にとって危険な状態が震災から1年3ヶ月経ったいまも続いている。漁業が基幹産業の気仙沼で、何が起こっているのだろうか。(文/藤田展彰 撮影/白井 智)
■「あの日の津波から、紙一重で生かされた思い」
震災当日、臼井さんは会社で仕事中だった。この地域にとって地震はそう珍しいことではないため、震度4程度の揺れであれば、「いつものこと」と仕事を続けていたはずだった。
ところが、今回の揺れは半端ではない。うなりをあげるほどのスピードで、間隔も早い。やがて建物の壁が崩れ、机の下に避難し収まるのを待つしかなくなった。揺れが収まったのを見はからって外に出ると、会社の周りのいたるところで液状化が起こっていた。道路の脇からも水が吹いているのを見て、これは尋常ではないと臼井さんは悟った。
「とりあえず、パソコンだけ持って裏山へ逃げろ」。社員全員に指示を出し、臼井さんも後に続いた。裏山はやがて、避難した人であふれかえった。
30分ほどすると、沖に白波が立っているのが見えた。波はやがて壁に姿を変え、岸に迫ってくる。津波だ。携帯電話回線は既にパンクしてつながらない。「津波が来た、逃げろ」。メールで方々へ連絡しているうちに、第一波で港の突端にある石油タンクが千切れて流されるのが見えた。津波から逃れようと沖に退避しようとしていた船は、波に負けて押し戻されていた。
津波の第二波でタンクから流れた重油が引火し、火の津波となって陸地の建物に襲い掛かる。夕方になると、沖にあった火の海が内陸に入り、陸上の建物を燃やし始めた。いたるところで爆発音がする。マグロ船は方向を失い、浮遊したままその場をただ回るだけ。
「なんだこれは」。理解を超えたあまりの惨状に、裏山に避難した皆はあぜんとするしかなかった。
気仙沼警察署が発表している気仙沼市民の死者数は1037人、行方不明者数は278人(2012年6月21日現在)。住宅被災棟数は1万5642棟(同年5月31日現在)、被災世帯数は9500世帯(2011年4月27日現在・推計)。「あの日の津波から、紙一重で生かされた思いだ」と臼井さんは語る。
臼福本店の遠洋マグロ漁船7隻は、震災当時遠洋に出ていたため、難を逃れた。しかし社屋も倉庫も津波で流され、被害総額は億単位にのぼる。震災当時、臼井さんは同社の専務。創業130年になる会社を守っていこうと社長を引き継いだ。
next page■港の中に「瓦礫は無い」──気仙沼市の見解
TAGS: SORD・気仙沼・臼井壯太朗・高田佳岳07/09/2012
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