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RELATION Talk 07

イベント07レポート:
「海と生きる」決意の上にある活動

■港の中に「瓦礫は無い」──気仙沼市の見解

気仙沼は、水産業関連会社が7割を占める、日本有数の漁業の街だ。かつおの水揚げは15年間連続日本一を誇る。しかし昨年に限って言えば、全国のかつお船が気仙沼のために集まり水揚げしてくれたおかげだ、と臼井さんは言う。

というのも、気仙沼の港は震災から1年以上経ついまも復旧がまるで進んでいない。船を係留するくいは壊れ、岸壁と陸の間にある水路のフタもない。旧魚市場は解体されておらず、周辺の土地は75センチから1.5メートル地盤沈下したまま。市内の建物解体も進みが遅く、いまだに遺体が見つかることもあるという。

海の中にも瓦礫が残っている。震災後、海中瓦礫の撤去を行った気仙沼市の見解では、港の中に「瓦礫は無い」とされている。しかし先日、臼井さんの友人の船が出航してすぐ、船が異物にあたり大きく揺れた。調べると、プロペラが2枚とも壊れており、修理に数百万円を要した。実際、港の周りをソナーやダイバーで探索すると、家や車、瓦礫などがあたり一面に沈んでいる。

■水産業会と建設業界の連携なく、進まない港の復旧作業

なぜ、気仙沼港の復旧は遅々として進まないのだろうか。

「私も理解しきれていない点が多々あるのですが、震災後、我々の水産業会と陸上の建設業界がまっぷたつにわかれてしまったんです。気仙沼市の仮設住宅や瓦礫撤去作業は、市の建設業界が地元で全部仕事をやろうと、外部からの応援を入れなかった。それが復興の遅れにつながった一因だとは思います」

気仙沼市は漁業の街だが、市の復興会議や審議委員会のメンバーは有識者や東京で活躍する方々、気仙沼市内の高校の先生など。漁業者・水産業者は誰も加わっていないという。復興会議の下にある審議委員会も同様だ。

「本当にこの街は漁業のことを考えているのか、基幹産業のことを考えているのかなと正直不安になる。市とは何度も話し合っているのですが、未だメンバーには漁業者を入れないとの返答です」

しかし、その原因のひとつとして、街づくりに対する漁業者側の意識の問題もあったのでは、と臼井さんは考えている。震災以前、臼井さんは青年会議所に参加し活動していたが、ほかに漁業者はほとんどいなかったのだ。隣町も同様だった。

「例えば農業が盛んな内陸側の市町村は、農業や酪農をやっている人たちも街づくり団体に加入しています。街づくりよりも、どうしても自分の仕事を優先にしがちだった。もともと街への貢献をしてこなかった我々のあり方も一因ではないかな」

臼井さんの危機意識の裏には、三陸のほかの港の存在がある。例えば、宮城県の女川市は港湾設備を復旧させ、大型の冷蔵庫を建てている。岩手県の釜石市は、気仙沼で最大手の水産加工会社の誘致に成功した。

「港を持つ都市の中では、気仙沼市だけなんです。岸壁の修理にすらまだ手をつけられていないのは」。臼井さんは、遅々として進まない復旧、復興のスタートラインにも立てない現状をつぶさに語ってくれた。

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