RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 07

イベント07レポート:
「海と生きる」決意の上にある活動

■負のスパイラルを断ち切り、「海と生きる」都市の再生へ

震災後、臼井さんが改めてかみしめたことがふたつある。ひとつは「食の大切さ」だ。漁業や農業を次世代につなげていくことも、自分たちに課せられた役目だと。

「現在、国が他の産業にウェイトを置きすぎて、食料産業が犠牲になっているような気もしています。今後の有事の際には、どこから食物を供給するのでしょうか。震災の折にはまず食に助けられ、食に携わり続ける自分たちが、国に食の大切さを訴えていかなければ」

もうひとつは、「人とのつながり」だ。コミュニケーションの大切さや業種を超えた人たちとのつながりを見直す機会になったという。

「震災前はあまり話したことのなかった隣家の人と奥さんを探して、見つかったときには泣きながら握手しました。街を歩けば、通りすがりの人と声を掛け合うようにもなりました。昔は普通だったことが、近年ではやらなくなっていた。それが、今回の震災でまた自然にできるようになったと思います」

自衛隊、消防、警察、支援団体、ボランティアや若者たち……。多くの人々に支援してもらったことを、臼井さんはこの上無く感謝している。このつながりが広まれば、被災地の復興はもとより、日本全体の復興につながるのではないかと臼井さんは考えている。

漁業は、船をサポートする企業があって初めて成り立つものだ。例えば船に油や食料を積む、パイプの修理、ペンキ塗り……。漁業があるから加工業が活性化し、観光業も成り立つ。現在、漁船を受け入れる港のシステムの崩壊や水没地域の建築制限により、土地が足りない、働く場所もない、ローンも組めないといった、負のスパイラルが続いているという。

「まずは基幹産業をなんとかしなければ。まずは、ブイを直すところから。それが第一歩ですね」

気仙沼は、「海と生きる」というスローガンを掲げ、スローフード宣言を全国で最初にした都市だ。行政頼みだけでなく、小さいコミュニティや応援団を適材適所でつなぎ合わせ、民間の力を100パーセント生かせるようにする。それが自分の役割。臼井さんは自分が持つ使命をそう語った。

■ 海を嫌いになってしまっても、戻ってきてほしい

SORD(三陸オーシャンレスキューダイバーズ)の高田佳岳さんは、東京海洋大学時代からダイビングのインストラクターをしている。海で育ったという自負を持つ高田さんにとって、被災地を襲う津波の映像を目にしたときの衝撃は大きすぎた。

東京大学大学院の海洋研究所に所属していた頃、下宿していた岩手県大槌町の家は流され跡形も無くなった。お世話になった漁師さんの中にも亡くなった方がいた。被災地入りすると、高田さんが覚えていた街並みが消えてしまっていた。

すべて、海が起こしたことだとは理解している。それでも、津波が原因で海のことを嫌いになってほしくはない。自分は海からさまざまなことを学んだし、これからも学びたいと考えている。津波を契機に海が嫌いになってしまった人たちにも、いずれは海に戻ってきてほしい。そんな考えから、高田さんはSORDを立ち上げた。

SORDを立ち上げたときに高田さんが念頭においていたのは、「海開き」の再開だ。日本の海は、流氷の海からさんご礁の海まで変化に富んでおり、地球上の海洋生物の20パーセントが日本の海にいるという。それだけ豊かで誇れるものなのに、多くの日本人は直接見たり海洋生物に触れたりしたことがない。三陸は海産物で有名だが、海の中を見た人はほとんどいないという。海産物が実際にどういう環境で育っているのか、海の中を見てもらうことで三陸の海の良さを伝えられるのではないかと高田さんは考えた。

また、震災以前は南三陸より北には存在しなかったダイビングポイントを三陸各地に作りたいとも考えている。気仙沼のスローガンでもある「海と生きる」精神性を多くの人に伝えるのが、高田さんの目的にひとつだ。

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