RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 03

イベント03レポート:えんぴつの次に、女川町に希望をもたらすものは

2011年12月10日(土)開催・RTPトークイベント03:レポート

東北大震災を語り継ぐRELATION relayTalk第三回目は、宮城県牡鹿郡女川町の女川第一中学校教諭、阿部一彦先生をお招きした。「生徒たちの学習環境を整えたい」と、津波で流された鉛筆やノートなどの文房具を全国から募る「希望のえんぴつプロジェクト」を立ち上げた阿部先生。教師という立場から、津波と、生徒と、女川町と向き合ってきた震災からの9ヵ月間、そしてこれからの女川について、スライドや映像を交えながらお話いただいた。(文/笠原名々子 写真/植田 泰)

最終ページ文末に、リレーショントーク後に行った阿部先生へのアフターイベントインタビューを掲載しています*

■町が津波に襲われた日
「だんだん、エンジンのギアが入ったようなものすごい揺れに」

女川町は、宮城県の東に太平洋側に位置し、人口約1万人が暮らす港町。太平洋に面した女川漁港では、牡蠣やホタテ、銀鮭などの養殖業が盛んだった。女川第一中学校は、その女川漁港の近くにある。津波の被害こそ免れたが、建物や電気の損害は大きかった。

3月11日。翌日は卒業式というその日、式準備のため学校が早く終わった3年生たちは、帰路についていた。阿部先生は、職員室で揺れを感じた。最初は女の先生がキャーキャーと怖がるのを面白がっていたが、だんだんエンジンのギアが入ったようなものすごい揺れになり、校庭に逃げた。空からは雪がチラついていた。卒業式の準備のために学校に残っていた1、2年生は、校長先生の指示のもと、ビニールシートにくるまってじっとしていた。

「これは、津波が来るな。大きな津波だ」
そう思った阿部先生は、バスで帰った生徒が心配になり、校長先生に許可を取って車でバス停へ向かった。
「この時もし歩いて行っていれば、今この会場に居ることもなかったでしょう」、阿部先生はそう振り返る。
バス停には20人ほど生徒がいて、泣いていた。
「先生どうしよう」
「学校に上がれ」と指示を出し、生徒が乗るはずだった電車の駅も見に行ったが、駅員を含め誰もいない。
「みんな逃げたんだ。俺、ここにいていいのかな」ハタと気付き、すぐさま坂をビューっと登って学校に戻った。
学校に戻ると、トイレに行きたい学生を外のトイレに誘導するよう頼まれた。誘導している途中、学校の周りの松林の奥から、ウァーーーーバリバリッッという強い音が聞こえた。
「あ、来たな」と思った。その時子どもたちは、地割れした校庭に佇み、トイレを待っていた。
「子どもたちが津波に気がついたらパニックになるから、見せないようにしよう」阿部先生はそう考えた。
しかし、「先生、なにこの音?」1人の女の子が気付いてしまった。そして、そこに居た生徒たちは、自分たちの目の前、すぐ下を、いつも使っている電車の車両がもの凄い速さで流されていくのを見たのだ。
阿部先生はこの時、生徒達にあるお願いをした。「ほかの生徒がいるシートの中に戻っても、今見たことはみんなに言うな。パニックになると危険だから」。
見たい!などと外に出る生徒がいたら大変だ。すぐそこまで波が来ている。
「わかりました」生徒は素直にそう答えた。

next page■そして迎えた卒業式

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