RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 03

イベント03レポート:えんぴつの次に、女川町に希望をもたらすものは

■海とともに生きていく覚悟
「海が我々を育ててくれた。我々は海がないと命がない」

12月頭に発表された漁港再編計画によると、宮城県内の3分の1の漁港が再編されるそうだ。同時にそれは、残りの3分の2の漁港が以前のようには戻らない、つまり、消滅するということだ。
漁港は生活の源である。漁港が無くなるということは、生活がなくなる。農家の人と海の人は違う。獲ったものを今より遠い港に40分かけて運ぶことになると、ただでさえ高い命のリスクは、更に高まってしまう。
阿部先生は言う。「漁師だけの力では、故郷は無くなります。いつまでも甘える気はありませんが、ご協力お願いしたい。こういうふうにすれば生きて行けるな、という、希望が見えるだけでいいのです」。

「私は漁師の子。漁師をしながら先生をやっているつもり」と言う。海に頼って生きてきた家族、地域の人々。その海が多数の人の命を奪った。4月末の週末、都市部から車で釣りに来る人たちがいた。まだ震災から1か月あまり。地元の人は、その車に張り紙をした。「出ていけ」と。
阿部先生の父は72歳。10月まで海に出なかった。でも移り住む気持ちはない。「ここの伝統を消したくない」と。

東北の海岸は、何度も津波に襲われた。「祖先があきらめていれば、自分はここに住んでいない」と阿部先生は言う。「海が我々を育ててくれた。我々は海がないと命がない」とも。
「15年後、定年になったら、漁師をやりたい」と阿部先生。子供たちの中にも、漁師になりたいという子がいる。
阿部先生の心にある“復興”とは、「豊かな海に感謝するその日まで」──なのだ。

■物から心のケアへ
「子どもたちは学校で、一生懸命すぎる」

「東京にいてできることは何ですか?」。
聴衆からの質問に、阿部先生はこう答えた。
「子どもたちは学校で、一生懸命すぎる。かといって家でも、親に落ち込んでいるところを見せられない。悩みを打ち明けられる相手が欲しい」。
また、支援してくれる人の気持ちと被災地の現状がなかなか合わないことに、もどかしさをも感じている。子どもたちに本当に届く形の支援をマッチングしてくれる人も必要だと。
様々な団体からの寄付や好意に対し、教員の立場では対応しきれないことも少なくないためだ。
「例えば11月も終わりのつい先日、ある国の政府から12月25日出発の日程で旅行のご招待が届きました。それ自体はとてもうれしく有り難いことなのですが、子ども達はパスポートを持っていない。残念ながらあきらめざるを得なかったんです」。

『希望のえんぴつプロジェクト』によって、沢山の支援物資が集まった女川町。今は物ではなく、心のケアが求められている段階だ。えんぴつの次に、女川町に希望をもたらすのは、一体何だろうか。

【執筆者プロフィール】

笠原 名々子(かさはら ななこ)


1989年生まれ。東京出身。武蔵野美術大学4年。ライター。
Facebookページにて「女子大生、復興と健康を考える」を運営中。 できるだけ多くの人に監査? というか見守って欲しいので、応援よろしくお願いします。悩んでる自分をコンテンツにする。

【アフターイベントインタビュー】
ゲストの阿部一彦先生に、リレーショントーク終了後お話を聞いた。

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