RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 04

イベント04レポート:
理想のビール造りは大震災にもめげない

■被害に屈しない。
「被災したことを表に出してはみっともない」

2011年3月11日、東日本大震災発生。木内さんは出先から車で会社に戻る途中だった。道路脇で旗が揺れているように見え、「今日はやけに風が強いな」と思ったという。しかし、よく見るとそれは鉄の看板だった。ハンドルを握っていないと振り落とされるような揺れだった。

福島県・宮城県・岩手県ほど甚大ではなかったものの、茨城県でも橋が落ち、マンホールが浮き上がり、電気も水道も止まった。木内さんは、普段は20分しかかからない道を3時間かけて会社に戻った。

社屋は壊れなかったものの、建物の瓦が2000万平方メートルの範囲で落ちて割れ、瓶詰めのラインが被害を受けた。タンクからお酒が流れ、出荷前のお酒が割れた。停電の上に、水道も止まった。

近くの避難所で水が足りないという話を聞き、知り合いの建築会社から発電機を借りてポンプを動かし、井戸から汲み上げた仕込み水を容器に詰めて提供した。仕込み水は酒造りにとって大切なものだが、そんなことは眼中になく、本能的に動いたという。

木内さんを心配して、世界中からメールが寄せられた。「生きているか、大丈夫か?」と。輸出で付き合いのある代理店と、常陸野ネストビールを置いている海外のビアパブが、寄付を集めて送ってくれた。ニューヨークから、トロントから、台湾からも。集まった寄付は、片付けや割れた瓦の修理に回した。その後も海外の人たちが木内さんのビールを飲むことで支援してくれたことは、木内さんにとって心強いことだった。

地震の後は、社員全員で手分けして工場や店を片付けた。停電のため夜は作業できなかったものの、3月中旬にはお店を開き、酒造りも再開した。Webサイトでも被災状況を公開した。前年まで毎年2~3割伸びていたビールの売り上げだったが、工場再開が早かったため1割増に踏みとどまった。

茨城県の酒蔵メーカーの売り上げは、大体は前年と同程度になったという。一方、同じ被災県でも東北の地酒は結果的に5割ほど売り上げが伸びた。復興支援の需要が増えたからだった。茨城県には被災でくじけるメーカーもある中、木内さんは「被災を表に出して商売するのはみっともない」と毅然としていた。それだけ、酒造りへのプライドがあった。

next page■風評に翻弄される。「原発だって、少数意見を大事にしない日本人の問題だ」

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