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うつくしま ふくしま
─身近な家族のしあわせ だからこそ復興を─


身近な家族のしあわせ だからこそ復興を

福島に来る前は、「今の家を捨ててはやく移ればいいじゃない」なんて思ったりもした。けれど久々に訪れて、その考えは浅はかだと気がつかされた。職を失っても、放射線の問題があっても、そこに住みつづける理由がうっすらわかった気がした。ここにはひいおじいちゃんが愛した書斎や、ひいおばあちゃんが鼻歌していた面影がある。一家で牧場をはじめた頃の苦労が染みついた牛舎や、母や姉妹や孫がかつて走り回っていた長い廊下がある。祖父や祖母にとって、家族の歴史とともに福島のこの地で穏やかな営みをつづけてゆくこと、それが人生なのだ。

震災から5ヶ月が過ぎて、福島に行って。
元気そうに暮らしている家族たちの姿をみて安心した、というのが素直な感想だ。環境が変わっても、国や世界の動きに翻弄されていても、そこには日常をつむぐ人たちがいる。早朝から牛に餌をあげる。日が沈む前に畑からトマトやなすをかごにとる。夕飯前には三五八に漬けたきゅうりを洗う。そんな、昔から変わらない日々がある。怒りを口にしながらも、前向きに一日一日を歩んでいる。先のことはわからない。不安も、不満も、たくさんある。それでも生きていれば夜は明け朝がくる。

ニュースや新聞で知ることも、ネットでの煽りや他人の意見に惑わされることもあるけれど、目の前のこの光景は心から信じよう。そう思った。実際、福島の人たちの方が放射線の数値や現状をきちんと知っているので、首都圏の人よりむしろ冷静に暮らしているのだなということもよくわかった。ほっとした。

祖父母は死ぬまで福島で暮らすつもりだ。生きてるうちに会える回数も、きっともうそれほど多くはないんだろうな。去り際に思う。久しぶりに会えてとてもうれしかったし、おじいちゃんやおばあちゃんの昔の話を聞けたことも、もっと前の家族の物語を聞けたことも、とてもしあわせだった。

社会がどうとか、政治や経済がどうとか、むずかしいことじゃない。ものすごくシンプルに、わたしはおじいちゃんやおばあちゃん、おばさんやいとこたちの幸せを願う。その周りにいる人たち、助け合って暮らしている人たちの元気な姿を望む。だからこそ、福島の復興をねがう。

「うつくしま ふくしま」
車中から見える福島県のスローガンが、静かに遠のいてゆく。うつくしま、貴方はこれからどんな運命を歩むの。

福島の復興をねがって。May God be with you.


これからわたしにできること

東日本大震災から1年5ヶ月あまりが経過した。これから私にどんなことができるのだろうか。長期的な目線で今後の東北の復興のためになることとは。自己満足に終わらない、ほんとうに東北の人々のためになる取り組みとは。答えを出すのは簡単なことではない。

福島で目の前の光景を信じると決めたわたしは、まずは東北のありのままの姿を自分の目と耳で確かめようと決めた。

2012年8月20日から26日にかけて、東北に足を運ぶ。“Learning Journey in Tohoku” と称されたこの旅は、世界から選ばれた若者7名と日本の若者7名が東北を渡り歩き、対話をしながらこれからの東北のありかたについて考えるものだ。日本の視点だけではない、いくつもの文化や歴史を持つ人たちとともに被災地をめぐる。それぞれの訪問場所で、現地の方とじっくりお話をする。

まずは、知ることからはじめたい。微力でも小さな力を持つ一人の人間として、東北の今を見つめ、何ができるか考えたい。■

※Learning Journey in Tohoku についての情報はこちらです。
 日本語版 → http://www.japanfs.org/tohoku/ja/journey/
 英語版  → http://www.japanfs.org/tohoku/en/journey/

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