イベント02レポート:悔しさバネに、帰る日が来るまで
2011年11月5日(土)開催・RTPトークイベント02:レポート
リレーショントーク第二回目は、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染で離村を余儀なくされた福島県相馬郡飯舘村の佐野ハツノさんをお招きした。稲作と牛の飼育、民宿で暮らしを立ててきた佐野さんは福島市の仮設住宅で暮らし、離村者のリーダーとして、縫物を始めるなど、周囲の人の世話に心を配っている。いつ村に帰れるかわからない苦難の中で、「必ず村に戻る」という決意で頑張る佐野さんの話は、聴講者の共感を呼んだ。(文/藤田展彰・坪田知己 写真/植田 泰)
■除染の問題にふりまわされて
飯館村は、福島市の東、福島第一原発からは約30キロにあるが、水素爆発で振りまかれた放射能が集中的に降ったホットスポットとして、計画的避難地域に指定され、全村避難になっている。佐野さんは飯舘村で生まれ育ち、家は村では最大級の専業農家。水田は18ヘクタールに及ぶ。今年40歳になる長男夫婦に、5年前に経営を委譲した。
3月11日の東日本大震災の直後には、海側の南相馬市から避難してきた人を自宅に泊めていた。しかし、飯館村も危ないということで、孫は東京に避難。佐野さん夫婦は牛や犬や農機具があるので残った。
息子夫婦は3月末から孫と福島市に移り、そこから毎日車で通って農業を続ける考えだった。ところが全員避難で農業もできなくなった。息子は農業を続けようと土地や仕事を探し、6月になって栃木県の観光牧場に就職した。今までは農家として人を雇う側だったのが雇われる側になったために、ストレスで14キロもやせた。
佐野さんの舅と親は「寿命で死ぬんだから避難したくない」と言って避難を嫌がった。まずは飯舘村に近い岳温泉に避難し、7月末には福島市の仮設住宅に引っ越した。佐野さんは1~2日に一度は自宅に戻って、犬にえさをやり、農機具を守っている。3000頭いた牛は全部売ってしまい、機械もこのまま持っているだけでもダメになるだけかもしれない、「おそらく当分は戻れないのかな」と思いはじめている。除染の問題はそれだけ深刻なのだ。
放射線量を1ミリシーベルト以内にするには土の表面を剥ぎ取る必要があり、時間もお金もかかる。また、山がちなので、裏山をどう除染するのかが課題になっている。
除染については民間でもさまざまな研究者が現地に入っており、仮設住宅で説明することがある。「1ミリシーベルト以内に除染するのは難しいので、飯舘にはもう住めないと」いう学者にがっかりさせられる。一方で「5ミリシーベルトまでなら簡単な方法で出来る」という学者の報告に大喜びさせられるなど、一喜一憂の状態だ。村の人たちは、村にどうにか帰りたくて、なんとか除染の方法を研究して欲しいとすがる思いで生きている。
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