RELATION relayTalk Project

RELATION Talk 02

イベント02レポート:悔しさバネに、帰る日が来るまで

■「縫い物をまずは楽しむだけ、まずはそこから」

避難後、佐野さんは村の臨時職員として、仮設住宅団地の管理人になった。111戸の入居者はお年寄りばかり。一人暮らしが6割近くで、夫婦など2人以上で暮らしているのも含めると約7割くらいは60歳代後半以降のお年寄りだった。家族は福島とかに移ったものの、三世代全員が入る物件を見つけられず、お年寄りだけ仮設にきたという人たちが多く、また、借り上げ住宅に住んだものの、精神的に参って仮設にきた人もいた。なかには認知症を患う人も出た。

そうしたお年寄りたちを元気づけようと、佐野さんは、「縫い物をしよう」と呼びかけた。戦中戦後の時期、飯舘の人は着物をほどいて普段着を作っていた。仮設のお年寄りはその時代を経験している。また、仮設住宅にはそうした作り直しの着物を着ているおしゃれなおばあさんがいた。そこで、そのおばあさんに、みんなに服の作り方を教えてもらうことにした。

ある農業新聞の取材を受けて、縫い物をする話が記事になり、全国から着物が送られてくるようになった。はじめは5~6人でと想定していたが、メンバーは25人になった。

作ったものを東京で売りたいという話が来たが、急がせると楽しくない。そこでまずは自分たちのために作り始めた。送られてくる着物には「100歳まで生きた姑の形見です。これが新しくまた世に出るように、楽しんでください」などと心のこもった手紙が添えられているものもあった。

縫物をしているおばあさんから「こういうことが出来なかったら、精神的に参って、病院に行っていたかもしれない」と言われ、佐野さんは涙をこぼした。

佐野さんは男性にも「何か作ったらどうか」と提案したが、小さいものを内職するのは嫌なようで断られた。家の外で体を動かす仕事の方が男性にはいい。しかし、全員農家なので工場で働くとなると体力的に無理で、慣れていない。近くに遊休農地があるから耕すことはできるが、飯舘村と比べると面積が狭くて機械が入らず、高齢の人には難しい。佐野さんの夫は来年田んぼを借りて、希望者何人かで耕すつもりだという。

■「もらっているばかりではいけない」

ボランティアは多い日には3件ほどあり、受け入れの手続きをする佐野さんの手が回らないときもある。地元でとれた野菜を持って来てくれたり、ラーメン屋さんが来たり、あとは体験型のサロンをやってくれる人が来たりする。

ボランティアは土日に来る場合が多く、本当は管理人の仕事が休みのはずなのに、ほとんど休めていない。避難所の人も、土日は家族と出かけていたりして、集まりは平日より悪い。

集会所は小さいものがあり、大抵はそこを使う。夏にはみんなで夕涼みをしているので、ボランティアの人がベンチを作ってくれた。最近は車椅子の人のゾーン、ちょっと若い人のゾーンと分かれるようになっていて、そこでデビューして元気になったという方もいる。

仮設住宅の暮らしは隣の家の物音が簡単に聞こえて不便なところもあるけれど、手厚い支援を受けている。佐野さんたちはそうした中でも「もらってばかりはいけない、難民になっちゃまずいな」と考えている。「いま、お世話になっているところに何かお返ししたい、雑巾なら手縫いで簡単にできるのでいいんじゃないか」などと、仮設住宅入居者の中でと話し合っているという。


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